ジョー質なブログ

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言語学的おっぱいの解釈

 

 

 

 

こんにちは。今日はアカデミックな話題について言及したいと思います。

 

 

 

日本語にまつわる非常に興味深い記事が米サイエンス誌に掲載されていましたので、日本語訳で紹介したいと思います。

 

以下は英オックスフォード大学で現代言語学を研究する言語学者エオジャ=デカット氏の論文の一部です。僕はとても彼をリスペクトしていましたが、残念ながら、去年亡くなってしまいました。彼は、日本人の母とフィリピン人っぽい父との間に生まれた日系アメリカ人で、親日家でした。

 

 

去年この世を去った彼の最後の論文です。彼の研究の集大成と言える論文、というか作品というのが相応しいかもしれません。彼への尊敬の念と哀悼の意を込めてここに掲載します。

 

この論文は、京都大学の英語の試験問題にも使われました。

 

 

以下デカット氏引用

 

私は長年にわたって言語を研究している。

とくに日本語はアルタイ語系の言語であるが、独特の進化をとげており興味深いと感じる。

 

 

私は、はじめて日本語に触れたとき非常に感銘をうけた。

 

 

日本語に触れる機会を得た私は、日本語の素晴らしさを感じ言語学的観点から日本の素晴らしさを世界に発信することにした。

 

 

文章というものは単語の集合体であり、個々の単語に分解できるが、単語というものもまた同様に語幹、接頭辞、接尾語に分解できるのである。

 

このような言語学的観点から日本語を解剖することによって、日本語の素晴らしさを再考したい。

 

例えば、英語が母国語でない者が英語を学ぶ際、語彙力をいかに増やすかという事柄がしばしば問題になるが、この要素に着目すると、頭の中で単語の整理が容易になり、語彙力増強の一助になるだろう。

感覚的には日本語の漢字や熟語のイメージに近いのではないのだろうか?

 

語幹で例をあげれば、ornという語幹は飾りという意味があり、

ornament は装飾という名詞になり

adorn は飾るという意味の動詞になる。

 

uni はひとつの、統一されたという意味のある接頭辞であり

universe 宇宙

uniform 制服

unicycle 一輪車

bi は二つのという意味があり

bicycle 自転車

biceps 上腕二頭筋、tricepsは上腕三頭筋だ。

 

 

 

日本語にもこの考え方をアプライし、日本語を言語学的に解剖することで、日本語の魅力を認識できると私は考える。

 

特に日本語のなかでも、本当によくできた単語だと常々、関心させられてしまう単語がある。

 

 

 

 

「おっぱい」という単語である。

 

 

 

 世界中どこをさがしてもここまで完璧に物体そのものを如実に表している言葉は存在しないのではないだろうか

 

まず、第一にこのおっぱいという文字は湾曲した部分が多く見られ、とても柔らかい印象を与えてくれる文字なのである。現代アートにも思えるそれは仮に、おっぱいが何かわからない、例えば日本語を母国語としない私のような人間でもこの文字が表すものが柔らかく丸みを帯びたものだという印象をうけるだろう。

 

次に発音だ。

 

 

 

 

おっぱい

 

 

 

 

 

まず、注目したいのは、「ぱ」という破裂音だ。ぱという破裂音によっておっぱいというものが弾力性に富むものであるということを示している。

 

そして、次にぱの前におかれた小さい「っ」。

このっがぱの前に位置することによってよりおっぱいのぽよん感を強調する形になっている。ここにおいて、「っぱ」はぷるんぷるんという意味をもつ語幹である。

 

「っぱ」と試しに発音してみると跳ねるような音が出るだろう。

 

わたしの後に続けて言ってみてほしい。

 

っぱ

 

 

 

リピートアフタミー

 

 

 

っぱ

 

 

エビバデセイ

 

 

っぱ

 

 

お分かりいただけただろうか

この跳ねるようなもの。それが、おっぱいだ。

 

 

次に「い」だが、これが、「っぱ」のあとに置かれることによって、「っぱ」が「っぱい」となり、弾力にくわえ柔らかさを演出してれる。

ここでは、い が っぱと共存して、ふにゅ や ふわという意味の接尾語になっていることがわかる。いとっぱの生み出す耳に心地よいハーモニーはたったコンマ数秒で人を官能的かつ刺激的な、もしくは耽美的な、母性を感じる癒しの心地へと誘う交響曲であると私は考える。

 

そして、接頭辞として使われている「お」。

 

 

 

これはそれを人類が初めて見た時の驚きを物語っている。

 

初めておっぱいに出会った人類はおっ!と驚き、固唾を飲み注視し、さらに恐る恐るその物体に触れた。すると、その物体は、っぱいという弾力性と優しい柔らかさを示した。という古代の物語がこの文字には含まれているのだろう。その時、人類は歓喜の涙を流し、震え、「お...........っぱい」と無意識のうちに口から言葉を漏らしてしまったに違いない。

 

ここまでの、論理では、正確には「お!っぱい」という表記なのだ。

 

しかし、前述した通り「おっぱい」と表記することで視覚的にも柔らかさを演出している。

 

 

視覚的な柔らかさという点では言語の歴史という切り口からも論じたい。

 

 

日本は中国から漢字を輸入し、平安時代に仮名文字を発達させた。カタカナとひらがなである。

 

漢字は真名と呼ばれ主に身分の高い男性が使っていたのに対し、ひらがなは女性が発達させたものであった。女性の持つ決して男性にはない独特な丸み、視覚的な柔らかさはひらがなにも受け継がれているのではないだろうか。

むしろ、おっぱいを表現するためにひらがなが発達したといっても過言ではないのだ。

 

私はおっぱいを漢字で表記したのを見たことがない。また、漢字でおっぱいを表記することはこの単語の素晴らしさを殺すことになるだろう。だから、おっぱいには漢字表記がないのではないのだろうか。日本人が古くから持つ風流心がおっぱいという素晴らしい単語を生み出したのだろう。

 

漢字、ひらがな、カタカナと表記の仕方に違いがあり言語を視覚的にも楽しんでいるのが日本人であり、そうさせてくれるのが日本語なのではないだろうか。

 

日本語は世界に誇る素晴らしい無形文化遺産であることをおっぱいが物語っているのだと私は思う。

やはりこの「おっぱい」という言葉ほどよくできた単語はないのである。

 

ちなみに余談だが、日本のおっぱいに関して私が始めて日本のおっぱいに触れるきっかけになったのは日本の宝ともいうべき芸術であるラブライブに触れた時だ。

 

ラブライブは凄まじいカルチャーだ。日本人がここでもおっぱいの持つソウルフルな力を遺憾無く発揮出来ていたことには最大の敬意を表する。

 

当時89歳だった私は、日本の女の子の”可愛い”に度肝を抜かれた。なぜ今までこの感動を知らなかったのだろう。これこそまさにクールジャパンだ。

 

これが日本のお・も・て・な・しか。

 

そう感銘を受け、私はそのときから恋をした。日本に。東条希ちゃんに。

いや、ことりちゃんも捨てがたい..........いやいや、みんな好きっ!!!!!!!

 

日本とアメリカの遠距離恋愛、年齢差も気になったが、それ以上に問題だったのは彼女たちは二次元に住んでいたことだ。

 

遠距離恋愛つら~いていう女がたまにいるが、こちとら二次元と三次元の次元をまたいだ恋愛だからな。次元を超えた恋愛の辛さをおしえてやりたいわ。

 

そういった事柄から日本を愛するようになった背景があり、私の日本に対する愛が深いのには容易に合点がいくだろう。

 

最後に私の研究が、人類の発展と文化の構築、そして世界平和の一助となることを切に願う。

 

Sourse : Eoja Dekat, "Linguistic point of view for Japanese OPPAI, Look at おっぱい

                  The SCIENCE(February 27 , 2012)

 

 

 

 

日本の大和言葉を美しく話す―こころが通じる和の表現

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